日曜サービスメッセージ:あなたが裸であるのを誰が知らせたのですか?

大変ご無沙汰しております。

 

細々ですが、Biblioの活動も続けていましたがブログがアップできずにいました。

今回は、8/16の日曜日に礼拝でメッセージした内容をシェアします!

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タイトルは、

 「あなたが裸であるのを誰が知らせたのですか?」

Who told you that you are naked?                     

創世記3:7-21

すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。 8彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。 10彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。 11神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。

人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。.....21主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

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1. 裸という認識の始まり/Start Perceiving of Nakedness

裸とは?What is the nakedness?

”はだか”のオリジナルの意味は「さらされている、傷つきやすい(exposed/vulnerable)」という意味です。

 

私たちが神様から離れた「罪」の状態でなかった時は、「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった/Adam and his wife were both naked, and they felt no shame.」(創世記2:25)とあります。

 

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神様は、私たちを裸としてデザインされました。

神様と人、人と人の関係も透明で、正直で、隠すところが何もありませんでした。

人は神様の前にそのままの姿で神様を愛し、信頼し合う関係でした。

神様といつでも語り合い、一緒に歩いている関係でした。

これが神の満足するスタンダードとなる美しい関係でした。

でもある時、人は、「自分たちだけで何もかもできる」「神様と離れて生きる方が自由かもしれない」という道を選択しました。

初めに神様がデザインした人の姿というのは、この時から崩れました。

その瞬間です。

自分が「裸」だと気づき、自分たちが「さらされ(exposed)、見守られる(observed)」状態に耐えられなくなりました。

と同時に罪悪感、不十分さ、不適格さ、虚無感から逃れられなくなりました。自分の恥ずかしい裸を他人に知られないようにしようとしました。

 

Q.人の失ったもの?What did man lose?

人は何を得て、何を失ったのでしょうか。

見た目は何も変わりません。でも確実に神様から与えられた正しさ、受容、栄光、ピュアさ、そして「ここが自分の居場所」というパラダイスをなくしました。

そして何よりも一番大きな損失は、創造主(神様)との信頼しあえる親しい関係がなくなったことです。だから神様が私たちの方に、いつも通り親しい気持ちで歩いてこられたとき、自分たちが「何か足りてない」ということに耐えきれずに神様から隠れました。

神様:「おーい、アダム、エバ!今日は一緒に向こうの丘にあるイチジク畑に行こう!おいしそうだ」

人:「こわい、嫌だ。私にはできない」


2. 裸を覆い続ける日々/Daily Covering the Naked with Fig Leaves
それからの人の歩みは、「自分たちの力で」「自分の好むイメージで」すべてを成し遂げようと必死になり、本当は裸であるのにもかかわらず、「私はこんなに持ってるし」「あれもこれもあるし」「あの人よりはマシだ」と自分を欺いて生きるようになりました。

 

Q.どうやって人は裸を隠しているのか?How are we hiding our nakedness?

アダムエバもイチジクの葉で恥を隠そうとしました。

Q.あなたにとってイチジクの葉は何?What are Your Fig Leaves?

必死になって(今も)腰に巻き続けている偶像は何?

偶像=神様よりも大切なもの。これがなければ生きていても意味がないと思えるほど大切なもの

e.g.ポジション/タイトル/キャリア/お金/知識/経験、/結婚/子ども/家族、外見/面白さ/人気/、奉仕/自分の正しさ...etc...

逆に人が自分が裸である事実を受け入れてしまったら、どうなるでしょう?

 

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3. わたしの裸を覆ってくれたイエス/Jesus Covering My Nakedness

イチジクの葉で自分の裸を隠そうとしているアダムとエバに対して、神様は憐みの思いにかられました。

「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた/The Lord God made garments of skin for Adam and his wife and clothed them」(創世記3:21)

人が神様との関係を自ら絶って何もかも自分たちでやろうとし、かえって自らに絶望している時、神様は動物の血を流し、その動物の皮で作った衣で人の弱さ、恥ずかしさを覆ってくれました。

 

それはアダムとエバだけでなく、私たちも同じです。

私たちは自分を着飾り嘘もつき、陰では悪口を言い、ついつい周りに調子を合わせて自分を押し殺してしまいます。それでも神様から離れて生きることしか考えず、神様から見たら自分勝手で「罪」でいっぱいの存在です。

それを見てイエスは私たち憐み、自ら地上にやってきました。

私たちの代わりに裸にされ、侮辱され、罵倒され、十字架で処刑され、本来なら私たちが罰せられるべき罪の身代わりになりました。

すべてはイエスが私たちの裸、恥、罪、醜さを身代わりのカバーとなるためでした。イエスは大切にしていた母からもらった服(縫い目のない一枚織のチュニックorワンピース)も、自分を殺している敵の兵士に与えたほどです。

でもイエスのミッションは私たちの罪の身代わりになることだけではなく、3日目に死から復活することにもありました。

イエスを信じるものは誰でも、キリストが復活されたと同じように、新しい存在として生まれ変わることができる、そして神とまた人生を親しく歩くことができる存在になれることを示してくれました。

 

4.どうやって裸という現実を乗り越えていけるのか?/How can we get over the reality as Naked

A. 裸という現実をそのまま受け入れる/Full Acceptance of the Reality of being Naked

 

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E.g.Winnie Harlowさんはジャマイカの血を持つ19歳のカナダ人モデル、Winnie Harlowさん。彼女は4歳の時、珍しい尋常性白斑(vitiligo)肌の色を作っている色素「メラニン」がなんらかの理由で生成されなくなってしまう病気にかかりました。

黒い肌のあちこちが白いまだら模様にかわり、いつも「ウシ、シマウマ」といじめられてきた。

彼女は

「いじめは辛かった。この肌と向き合って行くのか、諦めて生活するのか。ふたつの選択肢を考えたとき、私は諦める方を選びたくなかった。肌の色は、あくまで肌の色。私が誰であるかとは、なんの関わりもないわ」

と語っています。

彼女は、この裸を個性として受け入れてから、彼女のポジティブになり、個性を活かしていく努力をしてきました。

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また

「私はこのユニークな姿を受け入れ、この姿を気に入っているし、自分のことを愛してる。そして自分に与えてくれたすべてを神様に感謝してる。だからみんなも自分のことをそのまま愛してほしい。」

とも言います。彼女は今では、そのユニークさが評価され「Diesel」や「Desigual」のファッションブランドで活躍しています。あなたも神の前に自分の裸をそのまま正直にさらけだしても大丈夫です。

 

なぜでしょうか。

 

B.すべての恥を覆ってくれるイエスに信頼する/Trusting Jesus Covering all Your Shames

Q. 今まで誰かに自分の弱さや痛みを打ち明けて、その人にそのまま愛され、信頼されたことはありますか/Have you ever confessed your weakest things in heart to someone?

自分の弱さや醜さというのはなかなか受け入れられないものです。気づかないものです。もし、気づいたら「人には知られたくない」と思ってしまいます。

そんな誰かに話したら嫌われちゃうと思うことも、

「勇気を出して話してくれてありがとう。話してくれる前よりも、今もっとあなたを尊敬するし、大切に思うよ」。

そう言ってくださるのがイエスです。

あなたが裸(恥、弱さ、醜さ、罪)のままイエスに来る時、イエスがまさにあなたを愛し、そのまま受け止めて包んでくださる方です。

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最後に伝えたいです。

あなたはどこまでいっても裸である事実は変わりません。

事実は変わらないけど、これまで一人ぼっちで恥ずかしさを隠し、格闘しなくてもいいのです。もう一人ではないからです。

 

そのために神様は私たちが聖霊様と歩けるように始めからデザインしてくださったのです。聖霊とは神様の霊そのものです。あなたを24時間フルサポートをし、一緒に歩いてくれます。

 

e.g.先輩から不当に「こんな簡単なこともできないのか?」と怒鳴られて、みんなの前で恥をかかせられた時、聖霊は教えてくれます。

「イエスもあなたの罪のために裸にされ、血であなたの恥をすべてカバーしてくださった。あなたが先輩にどんなに酷い言われ方をしても、あなたが傷つく必要なはないんだよ。あなたが間違えたとしても、できないとしても私があなたを愛しているから。あなたを傷つける人があなたのアイデンティティではないのだから。

謙虚に聞いて努力できる面ではベストを尽くしなさい」と心に平安と謙遜と頑張る力をくれます。

e.g. 学校やバイト先で、あの先輩超むかつくと思う時、聖霊は、「神様の愛の凄さと、自分の罪の大きさ」をますます示してくれます。そして「その人を心から赦してごらん、もっとその人を特別愛してごらん」と心に平安と溢れる愛をくれます。

聖霊様は毎日の生活の中で福音を思い出させてくれます。

神様の力で裸を乗り越える力をくれます。裸(ありのままの自分)+聖霊と歩く=神のデザインされた素晴らしい姿であり、パラダイス、神の国と呼ばれるものなのです。