Biblio #7 狭い門から入る

1ヶ月以上空いてしまいましたが、最近Biblioで学んだことを紹介します。

 

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「狭い門から入りなさい」という言葉は聖書を知らない人でも聞いたことがあると思いますが、この言葉の前後にも興味深い言葉やフレーズがたくさん出てきます。

 

今回の聖書箇所:

マタイによる福音書7:13-27です。

狭い門を通らなければ、天国に入れません。 人を滅びに導く道は広く、大ぜいの人がその楽な道を進み、広い門から入って行きます。  14しかし、いのちに至る門は小さく、その道は狭いので、ほんのわずかな人しか見つけることができません。
 
15  偽教師たちに気をつけなさい。 彼らは羊の毛皮をかぶった狼だから、あなたがたを、ずたずたに引き裂いてしまうでしょう。  16彼らの行ないを見て、正体を見抜きなさい。 ちょうど、木を見分けるように。 実を見れば、何の木かはっきりわかります。 ぶどうといばら、いちじくとあざみとを見まちがえることなど、ありえません。  17食べてみれば、どんな木かすぐにわかります。  18おいしい実をつける木が、まずい実をつけるはずはないし、まずい実をつける木が、おいしい実をつけるはずもありません。  19まずい実しかつけない木は、結局は切り倒され、焼き捨てられてしまいます。  20木でも人でも、それを見分けるには、どんな実を結ぶかを見ればよいのです。
 
21  信心深そうな口をきく人がみな、ほんとうにそうだとは限りません。 そういう人たちは、わたしに向かって『主よ、主よ』と言うでしょう。 けれども天国に入れるわけではありません。 天におられるわたしの父のみこころに従うかどうかが決め手です。  22最後の審判の時、大ぜいの人が弁解するでしょう。 『主よ、主よ。 私たちは熱心に伝道しました。 あなたのお名前を使って悪霊を追い出し、すばらしい奇蹟を何度も行なったじゃありませんか。』  23しかし、わたしはこう宣告します。 『あなたがたのことは知らない。 ここから出て行きなさい! あなたがたがしたのは悪いことばかりではありませんか。』
 
24  わたしの教えを聞いて、そのとおり忠実に実行する人はみな、堅い岩の上に家を建てる賢い人に似ています。  25大雨が降り、大水が押し寄せ、大風が吹きつけても、その家はびくともしません。 土台がしっかりしているからです。
 
26  反対に、わたしの教えを聞いても、それを無視する人は、砂の上に家を建てる愚かな人に似ています。  27大雨、大水、大風が襲いかかると、その家はあとかたもなく、こわれてしまうからです。」 
 
みんなが感じたことは?
みんなの疑問や感想を聞いてみると・・・

・21-23節の「主よ、主よ」と言ったり奇跡を起こした人が天国に入れるわけではない、と言っている。クリスチャンであっても、天国に入れないかもしれないと思うとちょっと怖い

・しかも、「悪いことばかりしたではないか」と書いてあるもの、ドキッとさせられる。
・イエスが土台ならそこから成る実は良いし、逆にイエスを土台にしないならどんな実も良くならない

Q. 聖書が言いたかったことは何だろう?
・「主よ、主よ」ということも奇跡を起こすことも「何かをする」ということで自分がどれだけ正しかったかを神様に訴えてる。けど、それは福音を知っているという態度とは少し違う。
・神様と私たちの関係は、よく「親子」で例えられる。天の神様を「天の父」と呼んだり、私たちを子どものようにかわいがり育ててくれるのが神様。だとしたら、天国(神様のいる場所)に行く時、言い訳をする必要がないはず。
・心配や不安がある時、人は言い訳をするから「主よ、主よ」と自分のしたことをいっぱいしゃべるのは「神様が自分を受け入れてくれる」という神様への信頼がない発言かも。
 
Q. どんな福音が発見できたの?

この聖書の中にもイエス様の姿がある。それはどこだろう?

・私たちはこの狭い門=救いに至る門を発見できなかった。どうやっても見出すことができなかった。だからイエスが天国からこの地上に来て、教えてくれた、「私(イエス)がその狭い門です。救いに至る唯一の門です」と。

・私たちは自分中心や自分がよく思われたい・・・など心が自己中心だったり神様を中心にしない状態(罪)のため、神様(父)の心をしることも、従うこともできなかった。
だからイエスが私たちの代わりに、神様(父)に聞き、神様(父)の心に従ってくださった。

神様(父)の心とは、人の持つ罪を解決し、神様と私たちの関係が回復されること。

イエスを信じること
=狭い門から入ること
=父に聞き、その心を行うこと